| kobe-u.com
TOPICS バックナンバー |
| ◎タウン誌「センター」の巻頭を飾る新野元学長のエッセイから(2002.08.28) |
兵庫・神戸のタウン誌「センター」の8月号巻頭に新野元学長のエッセイが掲載されている。「ふたたび、新しいものを生み出せる神戸に」というのがタイトル。不幸な震災後、必死に立ち上がろうとしている神戸。希望の星は、例えば建設中の「先端医療センター」等日本と世界の特定分野での知識・情報の集積。ゴルフ、ジャズバンド、パーマネント等は港町神戸から全国に広がった。IT、コンピュータを駆使して、神戸は新しいものを作り出し全国に発信・伝播していく可能性を秘めている。
「センター」には眉村卓のショートショートの連載が掲載されている。また、ボンド映画「007は二度死ぬ」(1967年公開)の撮影が行われた神戸の新港第八突堤の話題等薄い雑誌ながら内容豊富。市内主要書店で購入可能。連絡先(月刊センター編集室・電話)は、078−371−3536。
|
| ◎医学部のルーツ、1869年設立の神戸病院(2002.08.27) |
神戸大医学部のルーツは、1869年(明治2年)設立の神戸病院。こんな記事が神戸新聞文化生活部編「ひと萌ゆる ー知られざる近代兵庫の先駆者たちー」に出ている。神戸病院は、日本で3番目に設立されたという伝統ある病院。1873年、神戸病院で弱冠26歳のアメリカ人医師ジョン・カッティング・ベリーが、兵庫県で最初の人体解剖を行った。このとき、他府県からも多数の見学者が殺到した。この見学者の多くはベリーの年齢の倍以上の漢方医たちだった。こんなエピソードが載っている。ベリーの尽力により生まれた神戸病院の解剖所や施薬部は、神戸病院附属医学所、県立神戸医学校、県立神戸医科大学と発展していく。更に、1960年代に県立神戸医科大学は「国立移管」により神戸大医学部となった。
「ひと萌ゆる」は2001年12月、神戸新聞総合出版センター発行。定価は1800円+税。
|
| ◎凌美会OB有志が10月に展覧会(2002.08.26) |
神戸大学の美術サークル凌美会のOB有志が、10月に地元神戸で展覧会 を予定している。
参加予定者たちは本業の仕事を抱えながらも、展覧会に向けて「暑い夏」にかかわらず製作に余念がない。以下は、その概要。
期日:10月15日ー20日
場所:ギャラリーミウラ
電話 078-322-0668
|
| ◎山村元教授(法)の新著「リーガルマインド法学入門」(2002.08.25) |
山村恒平元教授(法)の新著「リーガルマインド法学入門」が出版された。「平凡な人がリーガルマインドを合理的に身につけて法曹になるためには人のやらない勉強方法を考え出して、やってみるのがよい。それがリーガルマインドアセスメントである」というのが山村恒平元教授の弁。130ページと薄い本であるが著者の自分史を重ねつつ書かれた本。写真やコラムも挿入されていて、堅苦しい”法律書”とは一味違う。信山社刊、1200円+税。
|
| ◎第2回全国学生対抗円ダービーで神戸大石倉徹さんの組がユニーク賞受賞(2002.08.24) |
日本経済新聞社主催の第2回全国学生対抗円ダービーで、神戸大・石倉徹さんの組等2組がユニーク賞を受賞した。この賞は独自の円・ドルレートの予想方法を工夫したチームに与えられるもの。
石倉さんの組では、円金利、原油価格、米ナスダック総合指数が円相場に影響を与えると考え、三つのデータをもとに統計学の手法を使って予測モデルを作り、これが高く評価された(8月11日付日本経済新聞)。
|
| ◎日本ハム牛肉偽装事件で、亀井日本リスクマネジメント理事長(営・院)が発言(2002.08.23) |
日本ハム牛肉偽装事件に関しで、亀井利明日本リスクマネジメント理事長・関西大学名誉教授(営・院)が発言 、「日本ハムは、お坊ちゃん経営で、先代からの番頭に任せきりにしていたのだろう。問題が起きると子飼いの部下に責任を押し付けるのは、オーナー企業によくある体質」と述べている(8月12日付毎日夕刊)。相変わらず舌鋒鋭いコメントだ。
|
| ◎コラム「神戸新聞を読んで」に、神戸学院大角村教授(経・院修了)登場(2002.08.22) |
8月4日付神戸新聞のコラム「神戸新聞を読んで」に、神戸学院大の角村正博教授(経院修了)が登場。中教審が奉仕活動の義務化を答申したニュースに関連して、「地域紙」の雄として、神戸新聞がその力量を問われるテーマであると発言している。角村教授は1950年生まれ。経済思想家ポランニーの研究家。ポランニーの思想から発し、「ボランティア活動と市場経済」について学問的考察を重ねている。大学では明石学(神戸学院大は明石市に近い)、神戸学、兵庫学のコーディネーター役を務め、地域通貨に理論と実践の両面から取り組んでいる。
|
| ◎自分のキャリア志向を探るツールの必要性、金井教授(営)のコメント(2002.08.21) |
金井寿宏教授がダイヤモンド社のPR誌「経」8月号にビジネスマンのキャリアに関するエッセイを寄稿している。右肩上がりの時代は、屁理屈を言わず、がんばることが大切だった。そのような時期が長かったので、「自分のキャリアについて、長期的なビジョンを持つように言われても困る」というのが現実。アメリカでは、自分のキャリア志向を探る方法として、カードソートなどの方法があるが、日本ではまだ開発されていない。金井教授は、このようなツールの日本版かあるいはこれに代わるようなツールの導入が期待されると結んでいる。
|
| ◎神戸大学応援団有志による神戸・広島間「平和マラソン」開催
(2002.08.20) |
1987年頃から恒例の行事となっている神戸大学応援団有志による「平和マラソン」が実施された。以下はその概要(応援団OBのHPからの抄録)。
8月3日の9:00に神戸大正門を出発した参加者は、リレー方式で広島を目指す。5日の23:00頃目的地の広島に到着した。参加者は年々増えている。、今年は現役応援団員に加え神戸大学放送委員会、一橋大学、大阪市立大学、大阪府立大学、札幌大学の応援団のメンバーも参加。車でランナーを伴走する方式をとっており、今年は9人乗りのバンが5台も必要になるほどの参加者数であった。
6日は広島平和公園での平和式典に参加。その後広島を観光、灯ろう流しをしてから一同は神戸に帰った。
|
| ◎神戸大、サテライトキャンパスを大阪にー社会人院生出席しやすくー(2002.08.18) |
神戸大学は10月、大阪市の中心部にある備後町のビルにサテライトキャンパスを設置する。社会人を対象とする大学院経営学研究科の授業を週に2−4コマ行う。社会人院生の多くが大阪市内に勤務しており、仕事を終えてから授業に出席しやすくなる。地下鉄本町から徒歩数分の場所で、授業時間は平日の6時30分から8時10分。管理業務は大阪ガスの子会社で人事・福利厚生サービスのアイさぽーと(大阪市、乾俊之社長)に委託する(日経地方経済面 8月7日)。
|
| ◎兵庫工業会がバイオ研究会を発足、真山農学部長が会長に就任(2002.08.16) |
兵庫工業会は兵庫バイオテクノロジー研究会を発足させる。2001年度まで継続してきた兵庫バイオテクノロジー懇話会を発展させ、工学系のモノ作り分野を含めた応用の可能性を探る。”健康食品素材の開発と生理活性物質”及び”ナノバイオの基礎と展望”の二つのワーキンググループを置き、会員企業の研究者などと新バイオ分野について理解を共有化。これをベースに03年度以降、具体的成果に結びつける。会長に真山滋志神戸大農学部長、特別研究推進スタッフとして前神戸大農学部長の相園泰生氏と甲南大理学部教授の杉本直己氏を招いた。(日刊工業新聞 8月6日)
|
| ◎「港が見える丘」の作詞・作曲者東辰三は、旧神戸高商の卒業生(2002.08.14) |
社会思想社・現代教養文庫の1冊として、今年2月に発行されたのが「歌謡曲 おもしろこぼればなし」。この本の著者は長田暁二、1930年生まれの音楽文化研究家で音楽プロデューサーでもある。歌謡曲を社会的な存在として捉えたユニークな本である。この本の17ページに「港が見える丘」の作詞・作曲者東辰三の名前がチラリとでてくる。東辰三の本名は山上松蔵。神戸大学の前身校のひとつの旧神戸高商を1923年(大正12年)に卒業生している。東辰三は日本ビクターの音楽部長をつとめ、一方「港が見える丘」のほかにも「君待てども」「泪の乾杯」等今日でもカラオケで歌われている名曲を残している。
「港が見える丘」が世に出たのは、戦後間もない1947年(昭和22年)のこと。この曲は日本ビクターの戦後初めてのヒット曲だった。歌ったのは平野愛子。「ぬれたビロードのような声」と形容される官能的ムードを持つ歌手だった。育ての親の東辰三が1950年9月脳出血で急逝したため、以後ヒット曲にめぐまれなかった(「歌謡曲 おもしろこぼればなし」)。
|
| ◎佐々木知子議員(1978法卒)、佐々淳行初代内閣安全保障室長と対談ー在日中国人極悪犯罪事情ー(2002.8.13) |
文藝春秋誌8月号で佐々木知子議員(1978法卒)と、佐々淳行初代内閣安全保障室長が対談。テーマは、在日中国人極悪犯罪事情。元東京地検室長検事の佐々木議員が「中国犯罪をとくに問題にするのは決して偏見ではなく」と断りながら、データを示して急増する中国人犯罪に関して問題提起する。昨年中の外国人の刑法犯検挙数は18199件。うち中国人が49%を占める。ちなみに、この数字には香港、台湾を含んでいない。また、中国人による凶悪犯罪が地方に迄及んできているのが最近の傾向であると指摘。中国人犯罪者の日本への流入。日本人との偽装結婚した女性や日本人暴力団との連携等この問題の根は深い。日本に来てまじめに勉強し、また働いている多数の中国人達にとってはまったく迷惑なことである。不法入国の防止、検挙率のアップ等により「日本での犯罪が割りに合わない」ようにするしか良い方策がないだろう。
|
| ◎JR六甲道駅北の古書店”宇仁菅書店”(2002.08.10) |
神戸大学の教職員・学生にとっておなじみの宇仁菅(うにすが)書店。JR六甲道駅の北にある古書店だ。ご主人の宇仁菅民世さんは若い頃東京・神田の東陽堂で修行したという本格派。言葉の端々に本に対する熱意がこもる。狭い店ながら集書は広範囲、価格は良心的。卒業後、神戸を訪れた際、立ち寄るの楽しみにしているOBも多い。
池谷伊佐夫「三都古書店グラフィティー」(1998年・東京書籍)では、この店を「三重丸のおすすめ店」と評している。
|
| ◎「魅力にとんだ地域、瀬戸内」、山家教授(経)の寄稿(2002.08.07) |
本州四国連絡橋公団の発行する広報誌「かけはし」8月号に山家悠紀夫教授が寄稿している。グローバリズムの進展は弊害ももたらす。例えば輸入食品の安全性(残留農薬や見も知らぬ消費者を相手とする生産者の心理)や経済、人口などの一極集中(人が蜜集するほうが効率は増す)はグローバリズムのもたらす弊害である。これらの弊害を防ぐために、グローバリズムに変えてリージョナリズムを、あるいはせめてグロバリズムの中でもリージョナリズムを導入する必要がある。
以上のような観点から、「瀬戸内を地域と考えれば、ここは日本で最も豊かな地域であり、その強みを生かした活性化が望ましい」と山家教授は語る。
|
| ◎ESCO事業を紹介、青野日本総研主任研究員(1994年理院)(2002.8.06) |
7月24日付の日本工業新聞紙上で青野雅和さんがESCO事業の紹介をしている。ESCO事業とはEnergy Service Companyの略で、”エネルギー効率化事業の包括的なソリューション提供”と定義されている。事業の実施優位性、事業資金の調達方法、実施体制、事業効果の把握、事業リスクのヘッジ方法、さらに自治体であれば入札手法などの課題を解決する事業である。ESCO事業の特徴は、省エネという定性的なものに、効果を検証して保証するという定量的な把握を与える、エネルギーコスト削減分からESCO事業者が投資費用を回収するので、企業の初期投資が必要ない、事業リスクをヘッジするメニューをもっているので、結果的に企業や自治体の環境負荷を低減しエネルギーコストを削減する、等々である。
青野さんは大学院地球環境科学科修了、理学修士。1994年日本総研入社、現在同社創発戦略センター主任研究員で、1998年ESCO事業者のファーストエスコに参加、事業推進部長を兼務。
|
| ◎3年以内の上場を目指す、エイアイエル社長の瀧教授(工)(2002.08.04) |
大学発ベンチャーが注目を浴びている。そんな中、エイアイエルは社長が休職中ではあるが大学教授という点で異色。瀧教授は日立製作所に勤務の経験があり、”エンジニアとしての気持ちの方が強い。”同社はDVD−RAMドライブや第三世代携帯電話に使われる小面積.低消費電力のLSIを設計する独自の技術を持ち、3年以内の上場を目指している(7月30日・7月31日付日経)。
|
| ◎神戸大学生、院生も参加、学習障害児サポート
(2002.08.04) |
学習障害など発達障害を持つ子供への指導を充実させようと、神戸市は教員などを目指す大学生や大学院生を教師のサポート役として学校に配置する取り組みを始めた。阪神大震災以降、学生のボランテイア精神が高まっていることに着目した全国でも珍しい取り組み。教員や臨床心理士の養成課程を持つ大学と連携、神戸大など六つの大学の研究室を通じ、教員補助者となる学生を募集した。補助者への謝礼は実費程度だが、学生側の関心は高く、約100人が登録した(7月29日付日経)。
|
| ◎文芸評論家野口武彦名誉教授(文)、日経夕刊コラム「あすへの話題」に寄稿(2002.8.3) |
文芸評論家野口武彦文学部名誉教授が、日経夕刊コラム「あすへの話題」に毎週火曜日に執筆者として登場。7月2日の「幕末状態」に始まり、「時世悪評」「越中ふんどし」「隠密の隠密」「麻布狸穴」と続いている。江戸文学という素材を用いながら「現代を斬る」というお得意の手法も活用されている。12月末まで半年の間野口名誉教授の寄稿は続く。
|
| ◎家事ほど素敵なショーはない!沖幸子フラオグルッペ社長・エッセイスト(1969年教卒)(2002.8.3) |
沖さんがForbes9月号にエッセイを寄稿している。”20世紀には便利な道具や電気製品がどんどん生み出され、生活が便利になり家事も楽になった。しかしモノが家中にあふれ出し、一軒の家には平均すると7000種類ものモノが有るらしい。21世紀は、無駄なモノをいかに上手に自分から切り離し、シンプルライフを実現するかが課題。21世紀のビジネスは、家事を楽しくさせるアイデアやサービスが目玉商品かも。誰もがここにお金を使い、家事がエンターテインメントになるような時代こそ、本物の質の高い生活に違いない”という。
|
| ◎自然と調和する構造物を 鴻池組 鴻池社長(1974年工卒)(2002.8.01) |
鴻池組は汚染土壌を現地で溶融無害化するジオメルト工法を用い、全国で初めてダイオキシン汚染処理を行うなど、独自の取り組みを見せている。鴻池一季社長(1974年工卒)は、”自然に手を加えること自体が悪ではなく、加えたことで立ち行かなくなるのが環境破壊”との考えから、環境のリカバリー、積極的な保全を行う環境ビジネスに取り組んでいる(日刊工業新聞7月22日)。
|
| ◎朝日アマ囲碁十傑戦全国大会で優勝、多賀文吾さん(理院)(2002.7.31) |
朝日アマ囲碁十傑戦優勝の多賀文吾さんは神戸大の学生時代から強豪として全国に知られた存在で、元学生本因坊。決勝でぶつかった東北大出身の平岡聡選手とは学生時代からのライバル。”通算で2勝8敗と分が悪かっただけに、今度の優勝は大変うれしい。”という。寝屋川市で育ち、プロ棋士を目指して小学校4年から高校3年まで日本棋院関西総本部でプロ修行を続けるが、願いはかなわず。進学して理学部で素粒子論を専攻、大学院に6年いて研究者になれず。軌道修正して昨春近畿管区警察局に就職、京都府警の囲碁仲間との楽しい日々にたどり着けた(朝日新聞7月23日)。
|
| ◎ゼミ教授の一言で入社、社長に昇進、西田タクマ社長(1960年営卒)(2002.7.30) |
産業と暮らしを支えるごみ焼却炉ではナンバー1、環境産業のトップランナー、タクマの社長、西田常男さんが同社に入社したきっかけは、ゼミ教授のひと言、”いい会社だよ”だった。1960年(営)を卒業して入社。社員の7割がエンジニアという技術企業であるが、”どんな会社も経営が基本。まして技術に芯の通った堅実な会社なら経営に参加のしがいがあると思った。将来は社長になると、冗談半分に公言していました。”という。夢が実現して1999年社長に就任。それから3年目にして、過去最高益を更新した(プレジデント 8月12日号)。
|
| ◎友澤橋梁PFI研究会会長(1970年工・院)インタビュー(2002.7.30) |
橋梁メーカーやゼネコン、建設コンサルタント企業らによる「橋梁PFI研究会」が発足し、具体的なプロジェクトの提案に向けた調査・研究活動を開始した。PFI(民間主導の社会資本整備)手法の本格普及に期待が高まるなか、研究対象をあくまで橋梁に絞り、新たな事業スキームの構築を目指すという点で、他に類を見ない特色のある研究組織。研究会のアドバイザーには学識者や弁護士、金融専門家らが名を連ねる。研究会活動の方向性などについて友澤武昭初代会長(長大社長)は、次のように語る。
「PFIは、必要な社会資本を効率よく整備していく方法であって、また経済の活性化も図れるものとして注目されている。同時に、関連する検討組織や勉強会なども多いが、当研究会はインフラ施設の中でも橋梁に的を絞り、効果的なPFI方式のあり方について検討することを目的としている。PFIの概念を論じるのではなく、あくまで実プロジェクトの提案につなげたい」
友澤武昭(ともさわ・たけあき)さんは、1970年(工・土木修士課程修了)、長大橋設計センター(現長大)入社。1999年社長。2002年5月橋梁PFI研究会初代会長に就任。以上は7月26日付日刊建設工業新聞からの抄録。
|
| ◎豊原元神戸商大学長(1950年神戸経大卒)、8冊目の会津八一研究書(2002.7.29) |
豊原治郎さんは1927年の生まれ。元神戸商科大学の学長で、経済学博士。神戸大学の前身校のひとつ神戸経済大学を1950年に卒業、在学中は宮下孝吉教授のゼミで経済史を学んだ。専門は北米経済史で、多数の研究書がある。最近は美術史家、歌人、早稲田大学教授として著名な会津八一の研究に取り組んでいる。今年6月、晃洋書房から発行された「学匠 会津八一の生涯」(定価1800円+税)は、8冊目の会津八一の研究書だ。本書の「あとがき」には、執筆中の緊急入院等執筆の苦労や、家族の協力、これまでの集大成として評伝が完成できた喜びが語られている。
|
| ◎スポーツジャーナリスト賀川さんが旧友を追悼(2002.7.28) |
賀川浩さんは1924年生まれ。神戸大学の前身校のひとつである旧制神戸商業大学予科を中退、1952年からスポーツ記者となり、現在も活躍中。
サンケイスポーツ(大阪)編集局長を経てフリーランスに。神戸一中(現神戸高校)、旧神戸商業大学(現神戸大学)、大阪クラブなどでサッカー選手とし
て活躍、全国大会優勝、天皇杯準優勝の実績をもつ。サッカーW杯は、1974年(西ドイツ)からスポーツ記者として現地取材を行い、今般の「KOREA/JAPAN02」が8回目のW杯取材となる。
W杯で湧いていた6月22日、賀川さんの旧制中学以来のサッカー仲間岡田吉夫さん(1926年生まれ)が死去した。岡田さんは神戸一中から神戸高等工業
(工学部の前身)を経て早稲田大学に進み、戦後早稲田大学サッカーの再興期にプレーし、当時の日韓戦やアジア大会(第1回ニューデリー、第2回マニラ)
のサッカー代表選手を勤めた。晩年、早稲田大学の女子サッカー部の監督をつとめる等「サッカーと早稲田」と縁があった岡田さんを賀川さんが回顧する。
以上は、「サッカーマガジン」特別号(7月発行)からの抄録。 |