故人では、桂枝雀(かつら・しじゃく、1939-1999)がいる。1960年に神戸大学文学部へ入学したが、約1年で中退した。順調に卒業していれば、1964年卒ということになる。本名は前田達。御影分校ではフランス語のクラスにいたが、黒縁眼鏡をかけ黒髪がふさふさした目立たない学生で、後年の落語家が前田達と同一人物とわかる卒業生は殆どいない。
3代目桂米朝に弟子入りし、桂小米を経て2代目桂枝雀を襲名、以後頭角をあらわしたといわれている。古典落語を踏襲しながらも、得異なセンスや身振りで聴衆を大爆笑にもっていく天才肌の落語家として人気を博した。精神的スランプから自殺をはかり、意識が回復しないまま死去した。その後も、CD『枝雀の落語大全』(全10巻)をはじめ、DVD、著書が出版されるなど人気は衰えない。死後出版された上田文世著『笑わせて笑わせて 桂枝雀』(2003年、淡交社)は評伝(写真)。巻末には、年譜がある。

現役のプロの落語家として、次の4人がいる。
○露の団六(つゆの・だんろく、1980年教育学部卒)、神戸市出身の落語家。神戸大学在学中は、落語研究会に所属。その間に露の五郎の落語を聞いて感動、弟子入りした。ラジオ関西「露の団六のニュースの大通り」でパーソナリティをつとめるなど時事問題も語るインテリ噺家といわれている。著書に重症のダウン症をもつ兄との半生を描いた『あほやけど、ノリオ ―ダウン症のアニキをもって―』(2004年、中央法規出版)がある(写真)。

○林家竹丸(はやしや・たけまる、1989年経済学部卒、本名:前田仁)、宝塚市出身の落語家。神戸大学在学中は落語研究会に所属。6年間にわたりNHK(徳島、大阪)で記者をつとめるが、退職して4代目林家染丸の弟子となる。神戸大学広報誌「KOBE university STYLE」2005年(Vol.3)の「先輩登場」欄で、(落語家に転進する)「背中を押したのは阪神・淡路大震災でした」と語っている。「震災で崩れた街を見たりして、・・命助かった自分は好きなことに挑戦せにゃあかんと踏ん切りをつけました」というのがきっかけだったそうだ。
○桂吉弥(かつら・きちや、1995年教育学部卒、本名:富谷竜作)大阪府茨木市出身の落語家。在学中の1994年に桂吉朝(2005年死去)に入門する。2005年、なにわ芸術祭新人賞、咲くやこの花賞を受賞。2007年NHKドラマ「ちりとてちん」に徒然亭草原役で出演した。両親ともに教師で、父の母校の神戸大学に進んだ。大阪府立春日丘高校卒。
○桂そうば(かつら・そうば、2003年経営学部卒、本名:熊沢誠)、福岡県出身の数少ない上方落語家。2005年に桂ざこばに入門した。
お笑い研究、お笑い番組のプロデューサーの分野で活躍している卒業生もいる。
○織田正吉 (おだ・しょうきち、1954年法学部卒、本名;構恒一)、神戸市出身。神戸市役所に勤務。傍ら漫才の台本を書く。後に独立して漫才台本作家、ユーモア研究家、随筆家として健筆を振るう。著書に『笑いとユーモア』(1980年、筑摩書房)、『絢爛たる暗号』(集英社文庫)等多数。兵庫県立長田高校卒。
○沢田隆治(さわだ・たかはる、1955年文学部卒)、大阪府吹田市出身のメディア・プロデューサー。神戸大学卒業後朝日放送に勤務、「てなもんや三度笠」、「スチャラカ社員」、「新婚さん、いらっしゃい」等のプロデューサーをつとめ大ヒットさせた。1975年、日本テレビの井原高忠の勧め上京、朝日放送に在職のまま東阪企画を設立社長(現会長)に就任した。その後、「花王名人劇場」の演出・プロデューサーを担当した。著書に『決定版 私説コメディアン史 』(ちくま文庫)等多数。日本喜劇人協会副会長。
○阪田真巳子(さかた・まきこ、2003年、総合人間科学研究科博士修了)、同志社大学文化情報学部講師。関西のお笑いを身体表現の角度から学問的に研究、注目を浴びている。神戸大学在学中は、バスケットボール部に所属。
(企画・制作:神戸学術事業会、文中敬称略) |