本日(11月25日)、東京凌霜クラブで「火曜会」の4000回の記念会合が開かれる。「火曜会」は、大正期に始まった卒業生による東京での昼食会。以下は、今回の会合にあたり作成された4000回88年の歴史の概要である。太平洋戦争をはさみ、学制改革(神戸大学の設立)を越えて、今日迄続いてきた。文中敬称略。
・第1回火曜会
大正9年(1920年)6月22日、東京在勤者の昼食会として、丸の内東京海上ビル内中央亭で開催。参加10人。鈴木祥枝(明治40年神戸高商第1回卒、後の東京海上社長)、堀内泰吉(明治40年神戸高商第1回卒、後の東京海上常務)、小野十郎(注)が常連。毎週火曜日に例会を開催、100回毎に箱根や熱海に出かけて“大会”を開く。大正9年10月頃神戸、大阪で同様の会合が始まる。翌年には門司でも。
(注)元神戸高商助教授、担当課目は、商業算術・代数。明治36年刊『神戸高商一覧』には、氏名の下に「東京平民」と記載されていた。
・水島銕也先生寿像作成
大正12年水島銕也先生寿像の小型像(朝倉文夫作)100個を造り単価30円で頒布した。
・第500回火曜会
昭和5年7月15日、同じく中央亭で500回を祝う。
同年10月16、17、18日に黒部に記念旅行。参加は、7人(富山から参加1人)。
約10年、500回を記念して『火曜会十年史』(昭和6年、凌霜火曜会発行)を出版。表題は鈴木祥枝、題文は城崎祥造(明治40年神戸高商第1回卒)が担当。
・戦後の再開
戦争末期に中断。戦後3、4年を経て江波戸鉄太郎(明治43年神戸高商卒)の肝煎りで、京橋明治製菓の地下室で再開。その後、大林組の六車清次(昭和6年神戸高商卒)の世話で東京ステーションホテルの地下室で開く。更に、日本工業倶楽部に会場を移した。
・鈴木祥枝氏追悼午餐火曜会
昭和32年2月9日、火曜会の創始者の一人である鈴木祥枝が死去。3月12日正午日本工業倶楽部で追悼午餐会が開かれた。参加は丁度100人。
・日本工業倶楽部で2120回目の火曜会
佐渡卓(大正8年神戸高商卒)の「凌霜」193号への寄稿によると、昭和40年6月1日で2120回。前年の総出席者356人、会合数46回、1回平均8人弱。
・火曜会3462回
澤田修二(昭和11年神戸商業大卒)の「凌霜」324号への寄稿によると、平成6年6月21日の会合をもって3462回。「デビスカップ選手として勇名を馳せた鳥羽貞三氏(大正13年神戸高商卒)が今もご健在で、92歳の高齢にもかかわらずほとんど毎週この会に出席、後輩を励まされている」との記述がある。
・火曜会3900回
繁田惠弘(昭和36年経済学部卒)の「凌霜」369号への寄稿によると、平成18年2月7日に火曜会3900回目の会合が開かれた。12人が参加、祝杯を挙げたとある。
・火曜会4000回
平成20年11月25日、火曜会4000回目の会合が開かれる。
以上
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