神戸大学の学生・同窓生を結ぶサービス kobe-u.com
kobe-u.com - Kobe University Community -
kobe-u.comは神戸大学の学生・卒業生・教職員のためのインターネットサービスです 神戸大学ホームページへ
掲示板 - これは会員制サービスです ウェブメール - これは会員制サービスです メーリングリスト - これは会員制サービスです メール転送 - これは会員制サービスです
神戸大学   ⇒
ホームページへ
掲示板 - これは会員制サービスです ウェブメール - これは会員制サービスです メーリングリスト - これは会員制サービスです メール転送 - これは会員制サービスです      
コンテンツ
事業会ニュース
学友会
同窓会
同窓会住所変更
公益財団法人六甲台後援会
サークル
神戸大学就職検索
お医者さん検索
ホームページ制作
会員サービス
入会案内
会員サポート
インフォメーション
お問い合わせ

神戸大学生にメールアドレスを無料開放!

ホームページ制作を引き受けます





SSL グローバルサインのサイトシール
kobe-u.comは、個人情報保護のため、SSL暗号化通信を採用しています。
個人情報保護方針
特定商取引法に基づく表記
   
同窓生ニュース

ここでは神戸大学関連の様々なニュース・トピックスをご紹介しています。

過去の同窓生ニュース一覧  過去の同窓生ニュース一覧がご覧いただけます。
お問い合わせ


 同窓生ニュース: 2010年7月
桑原哲也名誉教授(営)が、『カネボウの興亡』を書評 (2010.07.30)
シリン・ネザマフィさん(2006年院自然科学研究科修了)の小説「拍動」、「文學界」6月号に掲載。芥川賞は、ならず。 (2010.07.27)
神戸大学「素粒子ハンターの系譜」、7月15日付日本経済新聞(夕刊)から (2010.07.26)
五十嵐順子さん(1998年国際文化)、知的女性ネットワーク会の会長に就任 (2010.07.21)
神戸新聞社高士薫社長(1975年法卒)が、”バラケツ神戸”を語る (2010.07.20)
神戸市長選挙に立候補、僅少差で惜敗した樫野孝人さん(1986年経卒)が、東京六甲クラブで講演 (2010.07.16)
池田泉州銀行が神戸大発の創薬ベンチャーGMJに投資 (2010.07.14)
ゲゲゲの女房」をテ―マにした講演会開催(神戸大学東京六甲クラブ) (2010.07.13)
阪神電鉄コミュニケーションメディア統括部長小林幹彦さん(1983年工院修了)の趣味はトランペット (2010.07.12)
「ウエディングの街神戸」を広める谷口亨子さん(1984年教卒) (2010.07.08)
東塚弘司さん(1966年経卒)の著書『ソロバン先生英国を行く』 (2010.07.06)
長崎・「軍艦島」との出会いを語る森榮さん(1966年法卒) (2010.07.01)
長崎・「軍艦島」との出会いを語る森榮さん(1966年法卒)(2010.07.01)

セメント協会の広報誌「セメント・コンクリート」6月号に、元宇部三菱セメント社長で三菱マテリアル顧問の森榮(もり・さかえ、1966年法卒)さんが登場。長崎県にある「軍艦島」との三度の出会いを語っている。

「軍艦島」は、長崎港から南西およそ19kmの洋上に浮かぶ周囲1.2kmの小さな島。正式名称は、長崎県西彼杵郡高島町端島であるが、夕暮れにかすむ頃はるか洋上から眺めると、その島影があたかも軍艦「土佐」に似て見えることから、いつしか「軍艦島」と呼ばれるようになった。この島は、三菱が明治時代から閉山まで80余年もの間、最高級原料炭を採掘してきた場所である。この島には、大正5年に日本初の鉄筋コンクリートで建設された高層アパート群が林立していて、全盛期には、5200人もの炭鉱マンとその家族が生活し、世界一人口密度の高い島としても有名であった。

1962年(昭和37年)年11月、森さんは東京水産大学の練習船「神鷹丸」に乗船して、3週間に及ぶ東シナ海漁業実習の帰路、長崎港に向かっていた。長崎港にあと1時間程で到着するという時に「軍艦島」の東側を航行、洋上から初めて見た高層アパート群が林立するその「偉容」に圧倒されたという。

その翌年、森さんは東京水産大学を卒業したが、すんなりとは就職せず紆余曲折を経た後、1966年(昭和41年)に神戸大学法学部を卒業、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に入社する。そこで二度目の出会いを迎えた。つまり、最初の勤務地が「軍艦島」の5km長崎よりの洋上にある三菱炭鉱の島・高島となったからである。結局、この高島で毎日のように「軍艦島」を眺めながら「労務屋」としての生活が15年近く続く。

三度目の出会いは、時代を一挙に30年近く飛び越える。2001年、森さんは、三菱マテリアル九州支店長として在任中に「軍艦島」と関係することになった。というのは「軍艦島」は、1974年に閉山後、無人島のまま30年近く推移してきた後、支店長として高島町との「譲渡交渉」に立ち会うことになったからである。

「軍艦島」はその後、平成の大合併により長崎市の所有地となっている。長崎市は「軍艦島」を観光の新しい「目玉」と位置付け、島の桟橋や見学通路を整備し、2009年4月「上陸解禁」に漕ぎ着けた。解禁後の半年間で予想を大幅に上回る3万4千人の観光客が訪れたという。「軍艦島」に林立する高層アパート群は、建設後90年の歳月を経ても、いまなお健在であり産業遺産としての役割を立派に果たしている。「換言すれば、それだけ日本のセメント・コンクリートの技術が世界的にも卓越している」と一文は結ばれていた。

%E8%BB%8D%E8%89%A6%E5%B3%B6.jpg


東塚弘司さん(1966年経卒)の著書『ソロバン先生英国を行く』(2010.07.06)

リタイア後、イギリスで小中学生に日本の伝統文化であるソロバンや書道を教えた。そのような異色の体験をした東塚弘司(とづか・こおじ)さんの著書『ソロバン先生英国を行く 爽快! 63歳、小さな冒険』が、文芸社から出版された。定価は1000円+税。

東塚さんは、1966年神戸大学経済学部を卒業、当時二輪車メーカーだった本田技研工業(ホンダ)に入社する。ホンダの創業者である本田宗一郎という人物に強く惹かれたからだ。東塚さんの在職中、ホンダは四輪メーカーに変身、”世界のホンダ”となる。東塚さんは、ホンダの取締役を経て関連会社2社の社長をつとめ2003年に退職する。定年退職後は「趣味に生きる」というパターンが多いが、東塚さんの場合は違う。何をすべきかを色々考えた末、「語学留学+日本文化の紹介」をすることにたどり着く。英国でホームステイしながら、小中学生にソロバンや書道を教えたのだ。本書は、そのような東塚さんの実践記録である。

東塚さんにとって、商家に育ち小学校6年生のとき1級を取ったという実績があったのが幸いする。100円ショップで中国製のソロバンを買い集めるといった周到な準備の後、2007年7月に英国に旅立った。


%E6%9D%B1%E5%A1%9A.jpg


「ウエディングの街神戸」を広める谷口亨子さん(1984年教卒)(2010.07.08)

6月28日付朝日新聞のコラム「ひと模様」欄に谷口亨子さん(1984年教卒)が登場した。テーマは、「ウエディングの街神戸」を広める。

異人館、メリケン波止場、1千万㌦の夜景・・・・・。エキゾチックでおしゃれな街・神戸。この街でウエディングを挙げるカップルを増やしたい。ブライダル会社「オフィス・マーメイド」の社長である谷口亨子さんは、観光やファッション業界など80企業・団体が2005年に発足させた任意団体「神戸ウエディング会議」の呼びかけ人だ。

「オフィス・マーメイド」のたち上げの最大の恩人は県立長田高校の先輩の元神戸市長宮崎辰雄氏(故人)。宮崎氏は、晩年市内の名だたるホテルを車いすで一緒に回ってくれた。そのおかげで、1996年に起業した社の経営が軌道に乗る。「いずれは海外にもウエディングの街・神戸を広められたらうれしい。『神戸の街を元気にする力になれ』と言われた宮崎元市長のご遺志に報いたい」と谷口さんは語る。

%E7%A5%9E%E6%88%B8%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E4%BC%9A%E8%AD%B0.jpg
「神戸ウエディング会議」ホームページ(http://www.kobewedding.com/) から


阪神電鉄コミュニケーションメディア統括部長小林幹彦さん(1983年工院修了)の趣味はトランペット(2010.07.12)

5月8日付読売新聞夕刊の「Off 私の休日」欄に、阪神電鉄コミュニケーションメディア統括部長小林幹彦さん(1983年工院修了)が登場。学生時代からトランペットを始めたこと、社会人になってからも仕事の合間を縫ってライブハウスなどで仲間と〝スイング〟してきたこと等トランペットとの永年にわたる関わりが紹介されている。

小林さんは、週末になると大阪市北区の楽器店「ドルチェ楽器」のホールでトランペットを練習する。「少しでも休むと途端に吹けなくなる。逆に、イメージ通りに音が『届いた』時の充実感はたまらない」と小林さん。
 
1級建築士として阪神電鉄に入社した小林さん。ビルや一般住宅のキッチンまで、数多く構想や設計を手がけてきた。その集大成が、大阪・キタの顔として知られる西梅田の大型複合ビル「ハービスOSAKA」「ハービスENT(エント)」だった。小林さんは、2008年4月に建築部門を離れ、神戸と奈良を結ぶ「阪神なんば線」のPRを担当する。沿線を舞台に制作したラジオドラマのテーマ曲を選び、沿線紹介の一環で、神戸のジャズバーを巡るスタンプラリーにも取り組んだ。


ゲゲゲの女房」をテ―マにした講演会開催(神戸大学東京六甲クラブ)(2010.07.13)

去る7月9日(金)、神戸大学東京六甲クラブ(旧東京凌霜クラブ)でNHK朝のドラマで放映中の「ゲゲゲの女房」に関する講演会が開催された。この会は、神戸大学東京オフィスと「八雲の会」との共催の特別企画として開かれたもの。NHKで放映中の「ゲゲゲの女房」の原案本である武良布枝著『ゲゲゲの女房』(実業の日本社)の編集協力者である五十嵐佳子氏(お茶の水女子大卒、フリーランスライター)を講師に、お話を伺った。

『ゲゲゲの女房』という本は、漫画家水木しげる氏(鳥取県出身)の奥様武良布枝氏(島根県出身)によるご夫妻の若き日の苦労話を主体としたエッセイ集。フリーランスライターの五十嵐佳子氏が1冊の本にまとめた。女性誌の取材記事執筆のほか、ルポルタージュや小説などを発表されている五十嵐氏には、『こんなに楽しい!妖怪の町』(実業の日本社)の著書があり、水木しげる氏とのご縁ができた。一方、五十嵐氏の父上五十嵐康祐氏が神戸大学卒業生(1954年経営学部卒)であることから、神戸大学東京オフィスと「八雲の会」(島根県のビジネス支援が目的。首都圏で活動)が共催で、今回の特別企画を開催することになった。

五十嵐氏からは、編集協力をされた本とそれがドラマ化された「ゲゲゲの女房」をテ―マにした裏話の数々を伺った。参加は42名、神戸大学関係者と「八雲の会」メンバーがそれぞれ半数ずつであった。

%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2.jpg


池田泉州銀行が神戸大発の創薬ベンチャーGMJに投資(2010.07.14)

池田泉州銀行(本店:大阪市北区)は、神戸大学発の創薬ベンチャーGMJ(神戸市中央区)に投資した(7月6日神戸新聞他)。GMJは、2003年に神戸大学医学部が中心となって創業したベンチャー。資本金は1億7990万円、従業員は4人。がん遺伝子治療用医薬品の開発や、非臨床試験受託事業などを手掛けている。医薬品開発事業では、中国で臨床試験を始めるための準備を進めている。今般、GMJが調達した資金は、がん遺伝子治療用医薬品の開発費に充てることになっている。

池田泉州銀行は、2009年8月に地域経済の活性化を目的に神戸大学発の企業や企業家らを支援する専用ファンド「池銀キャピタル夢仕込ファンドKI投資事業有限責任組合」を設立した。その際、同行グループで1億円を出資し設立している。


神戸市長選挙に立候補、僅少差で惜敗した樫野孝人さん(1986年経卒)が、東京六甲クラブで講演(2010.07.16)

連休明けの7月20日(火)、東京六甲クラブ(旧東京凌霜クラブ)で開催の特別火曜会で、昨年の神戸市長選挙に立候補、7,852票という僅少差で惜敗した樫野孝人さん(1986年経卒)が講演する。演題は「無所属新人―上場企業社長の選挙ものがたり―」。参加希望者は、TEL:03-3211-2916、FAX:03-3211-3147、Eメール:tokyo@kobe-u.com のいずれかの方法で申し込む。
 
日時:2010年(平成22年)7月20日(火) 12:00~13:00
場所:神戸大学東京六甲クラブ(帝劇ビルB2)
演題:「無所属新人―上場企業社長の選挙ものがたり―」
講師:樫野孝人(かしの・たかひと)氏
県立長田高校を経て1986年神戸大学経済学部卒。(株)リクルート入社。人事部門を経て、雑誌編集長、インベストスペース館長。福岡ドームの立上げに参画し、マイケルジャクソンやマドンナなどのコンサートをプロデュ-ス。その後(株)メディアファクトリーで映画制作事業を立上げる。
2000年 (株)IMJの代表取締役社長に就任(翌2001年ヘラクレスに上場)。
2009年 同社を退任し、神戸市長選挙に立候補。
現在、「NANA」「ゼロの焦点」などを製作したIMJエンタテイメント取締役会長、神戸リメイクプロジェクト代表、神戸ひとマガジン「裕ちゃんを探せ!」編集長。
著書:上記の他「情熱革命」(カナリア書房)など。
会費:4,000円(昼食付)


神戸新聞社高士薫社長(1975年法卒)が、”バラケツ神戸”を語る(2010.07.20)

兵庫・神戸CSの会が発行する「神戸佳族」5・6月号に神戸新聞社高士薫社長(1975年法卒)が登場、”バラケツ神戸”を語り、巻頭を飾っている。以下は、その概要。

「バラケツ」というコトバ。その語源はともかく、「気は荒いが力持ち、押さえつけられると盾突くたちで、人情には滅法もろい、というほどの響き」だろうかと高士社長は推察する。ただし、この「バラケツ」というのは神戸限定のコトバ。大阪育ちの高士社長にとっては、往年の神戸っ子がこの言葉をむしろ誇らしげに発することが、しばらくの間不思議でならなかったそうだ。

川崎正蔵と松方幸次郎。2人は、明治期、鈴木商店の金子直吉らとともに、近代神戸の黎明期を彩った偉人たちだ。川崎造船所、今の川崎重工業の初代社主、社長としても名高いが、同時に神戸新聞社の初代社主と初代社長でもあった。

三菱や三井に比べ、鈴木商店も、その歴史を受け継ぐ神戸製鋼もそして川崎造船所も、見事に在野である。すなわち、「民」であり、バラケツである。そこには、首都から離れ、海に開き、交易を基盤に発展した神戸の遺伝子が組み込まれているようにも思えてくる。高士社長は、松方幸次郎から数えて14代目の社長に当たる。


五十嵐順子さん(1998年国際文化)、知的女性ネットワーク会の会長に就任(2010.07.21)

五十嵐順子さん(1998年国際文化)が、知的女性ネットワーク会の会長に就任した。知的女性ネットワーク会は、3人の発起人により設立された。将来は、一般社団法人化にしたいと考えているという。以下は、同会の設立趣意書(要約)。

核家族化が進んで、人と人とのつながりが希薄になった今、女性の強みである、社会性・オープンなコミュニケーションが、世の中に求められている。会社でも、成果主義が進んだせいで、従来の日本企業が得意としていた家族経営はすっかり失われ、上司は評価する人、同僚や部下はライバル。そんなギスギスした職場が多くなっ。その結果、仕事は忙しくなる一方、家庭や地域のきずなも、ますます希薄になってしまった。

本当は、もっと協力して一緒に相談しながら仕事をしたい。明るく、オープンで、人間同士の温かい信頼関係があったら・・・

職場のために、そして社会のために。自分ができる小さな一歩を、探すことはできないのか。社外と社内、両方の人的ネットワークをそれぞれ持ち、つながりを大切にする女性達が世の中に増えることが、この「無縁社会」化している現代の社会問題の、ひとつの解決になるのではなかろうか。

そう、キーは女性、知的女性。

「知的女性」というのは、頭がいいというのではなくて。社会でよりよく生きるための、人と人が手をたずさえて生きていくための知恵を、生まれながらにして授かっていることを、自覚している女性と定義したい。世の中の、知的女性が、社会を、そして職場を、地域を元気にして、周りをまきこみ、人と人の絆を取り戻す中心になる。

%E7%9F%A5%E7%9A%84%E5%A5%B3%E6%80%A7.png
知的女性ネットワーク会のホームページ(下記)から
http://www.life-rebalance.com/chiteki/index.html


神戸大学「素粒子ハンターの系譜」、7月15日付日本経済新聞(夕刊)から(2010.07.26)

7月15日付日本経済新聞(夕刊)の大型コラム「オムニス関西」の「ひと脈々 素粒子ハンターの系譜」②に、”神戸大、小柴精神継ぐ実験屋”として、小柴昌俊東京大特別栄誉教授(2002年「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」によりノーベル物理学賞を受賞)につながる神戸大学関連の人材群が紹介されている。

まず、小柴特別栄誉教授の友人である藤井忠男東京大名誉教授(神戸大元教授)。弟子にあたる武田広神戸大副学長、川越清以神戸大教授(理)、そして神戸大学で学んだ高エネルギー加速器研究機構(KEK)田中秀治准教授、金谷奈央子東京大助教等の名前が挙がっている。

KEK田中准教授は、未発見の素粒子をつかまえるアトラス用の測定器の作成に挑む。その成果は、若手研究者に贈られる「小柴賞」の受賞につながる。東京大学金谷助教は、LHC(世界最大の加速機)研究でスイスに渡った。このコラムの最後は、「小柴イズムは神戸でも脈々と受け継がれている」と結ばれていた。

%E9%AB%98%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E5%8A%A0%E9%80%9F%E5%99%A8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%A9%9F%E6%A7%8B.gif


シリン・ネザマフィさん(2006年院自然科学研究科修了)の小説「拍動」、「文學界」6月号に掲載。芥川賞は、ならず。(2010.07.27)

文藝春秋社発行の純文学文芸誌「文学界」6月号に、シリン・ネザマフィ(Shirin Nezammafi)さんの「拍動」が掲載された。「拍動」は、シリン・ネザマフィさんの”文学界新人賞受賞第1作”と銘打って掲載されている。この作品は、京都を舞台に交通事故にあったアラビア語圏の男性(大学でアラビア語を教えている)をモチーフとしたもの。いつもながら淡々とした文体でストーリーは流れていく。「拍動」は、第143回芥川賞の候補作品となったが、惜しくも受賞は逃した。

シリン・ネザマフィさんは、イラン・テヘランの生まれ。1999年に来日、1年間日本語学校で学ぶ。その後、神戸大学工学部、同自然科学研究科修了、パナソニックにシステムエンジニアとして勤務する。昨年、ドバイのグループ会社に転勤した。今年の3月4日付読売新聞(夕刊)には、「多様な人種 刺激的な街」というタイトルで、現地からの生き生きとした情報発信をしている。文末は「ドバイは醤油もカレー粉もサフランも、世界中のスパイスが混ざり合ってできた不思議な料理だ。どこを食べても新しい味だが、確かに美味しい」と結ばれていた。

%E7%99%BD%E3%81%84%E7%B4%99%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%B3.jpg
シリン・ネザマフィさんの著書『白い紙 サラム』(2009年、文藝春秋社)


桑原哲也名誉教授(営)が、『カネボウの興亡』を書評(2010.07.30)

7月11日付産経新聞に、桑原哲也名誉教授(営、現福山大学教授)による武藤治太、松田尚士共著『カネボウの興亡 日本近代経営史の光と影』(新風書房・1575円)の書評が掲載されている。以下は、その概要。

本書は、我が国の工業において最初に国際競争力を獲得した紡績企業の盛衰を、業界を代表していたカネボウを事例として、同社の経営トップの行動に焦点をあて、列伝風に説明する。カネボウは、1930年時点で世界の鉱工業企業の第191位(資産額で)、綿紡企業では第2位にランクされた我が国最大の繊維企業。当時、世界の綿糸布市場を席巻しつつあった。この国際競争力は、1890年代からカネボウの経営を担った武藤山治の下でつくられた。彼は、経済体のカネボウに生活共同体の機能を作り出すことによって、労働者の貢献意欲を引き出し、製品の高品質化と高付加価値化に成功した。

日本の綿業はすでに第二次大戦に入るころ、成熟段階に入った。産業のこうした宿命を克服する課題は、武藤を継いだ津田信吾にによって認識されたが、本格的な対応は敗戦後になった。そうした問題に武藤絲治、伊藤淳二等歴代社長は懸命に取り組む。しかしカネボウ・ブランドを踏まえた化粧品の成功は見られたものの、合成繊維をはじめとする多角化は成果を生まなかった。

脱成熟は、カネボウ経営者にとって苦難に満ちたプロセスとなった。それを、著者はリーダーシップの問題として考察。すでに戦時体制化、津田社長のもとで権威主義的な傾向が現れ、しだいに風通しの悪い組織風土が醸成され、やがてはリーダーの意思決定における道徳性に問題をはらむようになったこと、その帰結としてカネボウ内外のメンバーは同社から離れていったことが示唆されている。

なお、余談であるが、カネボウと神戸に関してこんなエピソードがある。1903年(明治36年)6月30日、日本で最初の"社内報"「兵庫の汽笛」が、カネボウ(鐘淵紡績)兵庫工場(神戸・和田岬の近くにあった)の職員を対象として発行された。「兵庫の汽笛」は、翌月25日に「鐘紡の汽笛」と改題され、兵庫工場のローカル版から全国版としての発行されることになる。日本で最初の社内報を発行することを決めたのは、武藤山治(むとう・さんじ)で、社内報刊行当時は、鐘淵紡績兵庫工場の支配人だった。



 
    ホームお問い合わせ
kobe-u.comは神戸学術事業会(神戸大学教職員・卒業生が設立)によって運営されています
2002-2017 (C) kobe-u.com All rights reserved.